April 16, 2005

第三帝国観てきました

昨日は疲れていたのか旅行の荷物をかたづけたりしてるうちに午後が終わってしまったんですが、それだけで一日過ごすのもなんなので夜は映画を観に行く事にしました。というか同居人が騒いでる映画THE DAWNFALL、私もちょうど観たかったから便乗することに。

第二次世界大戦末期のナチスドイツ、崩壊へと向う最後の日々をなんと
1:そっくりさん俳優ズ
2:もちろんドイツ語で喋ってます
3:実際に現存している映像を再現してみたり
という、これで物語に入り込まずにいられるか、というつくりで描いています。いやもう観ている間、ヒトラーを「誰かが演じている」ってことを忘れてしまったよ。

歴史をベースにしたものって、無理矢理ストーリーに整合性を持たせたりドラマ仕立てにしたりするとリアルさがなくなっちゃうか、もしくは大河ドラマ的になっちゃうじゃないですか。そうしないことで臨場感の出る、でも映画としてはドキュメンタリーより完成されているという非常にバランスのとれた作品だったと思います、はい。
特筆すべきところは、客観的視点をなるたけ保ってるのにも関わらす淡々としていないところですね。本当に絶妙なバランス。そして入り込めるのにも関わらず人物への感情移入はしづらいんです、不思議なことに。

まだネタバレしたらまずい時期だと思うので、あまり内容については触れないでおきますが。でも当時の戦況と人物関係をおさらいして、もう一度観に行きたいですね。星5つです。それでも最後のインタビューみたいのだけは、ちょっと余計だったんじゃないかなーとは思いましたけど。わかるんですけどね、メッセージとして。ただそこでわざわざ言わんでも。。。という。あえて絶望感の尾をひかせたまま終わらせて欲しかった。

個人的にはゲッベルス(あの悩める宣伝相です)最高でした。

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April 03, 2005

線を追ったらどこに着くんだろう

PICT0086旅つながりです。スケールが全然違うけど。

友人のアーティスト、ダイスケが無銭で日本徒歩縦断という無謀でステキなことをはじめました。携帯を使って投稿される旅日記があるから軌跡はカンタンに追えます。テクノロジーってすごいね。

21世紀の一人旅はなんだか不思議だ。

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February 19, 2005

ダウナーとステンシル存在主義

休憩がてら、BANKSYの作品集(というか、街中に描いたグラフィティの写真とショート・コメント)を読んでます。

冒頭に彼が書いたことに、ふーん。
おおざっぱな意訳ですが。

「この本に書いてある事を僕がパブに座って喋ることだって出来るけど、君はきっと聞いてくれやしない」
「君の知人がちっとも君の言葉を聞いてくれないって思うだろう・・レコードだとか本の、彼らの会った事も無い人間が発した言葉なら、まるで教会のゴスペルを聞くみたいに喜んで受け取るってのに」
「もし君が何かを言いたかったら、誰かに聞かせたかったら、君は仮面を被らなくちゃいけない。もし君が正直でいたかったら、嘘の中で生きなくちゃいけない」

皮肉とジョークにこっそり本音を混ぜるのも、カンチガイ系インテリにからまれないよう阿呆の仮面を被って生活するのも、ストレスをためずに暮らす方法かもしれんですね。ビバ・ジョーカー。人間失格みたいに道化の仮面が自意識より上にきちゃうとダメダメですけどね。

読まれることを確信しながら文章を書くBANKSYはどんな気分だったのかしらん。マジメな話って、(それをする事が世間的にフツーと思われてるおカタい場所か、聞く気のあるひとだけ集まってる場所を除いたら)顔が見えないところじゃないと難しい、というのはわかるけど。興味のない奴に聞かせたいことがあるなら、それなりに手をこうじなさいよってか。それが難いんだよってに。

BANKSYの文章読んで「あ、なんか一歩ひいてんなあ、このヒト」って思ったり。それ、すんげー大事。日本橋ヨヲコとかも読んでて思うけど、熱いんだか醒めてるんだか微妙なところというか、どっちかの中にどっちかが沈んでるような作品はいいですねえ。あんまり一本気だとひいちゃうじゃないですか、だって(笑)。何事もほどほどが一番ですよ。こう、春一番が吹きすさぶなかも海はひねもすのたり、のたりと。

醒めすぎちゃうと何もかもどーでもよくなっちゃうから、それも問題なんですけどね。熱くなることはそんなにないけど、逆はしばしばございます。たまに無気力病というかどーでもいい病にかかるんで。現実感とか五感が遊離するのは、自分でわかっててやってるなら面白体験だからいいんだけど、勝手にやってこられるとちと困る。忙しい時とか特に。そういう時ほど今みたいなよくわからん方向性の(それもさがりぎみで)エントリたてるんでご注意ください。気晴らしみたいなもんです。


美術館の入り口のとこに「MIND THE CRAP」屑にご注意を!のグラフィティがこっそり書いてある写真を見たら、もう笑わずにいられない土曜の夜です。ロンドン地下鉄のドアが開いたときのアナウンス「MIND THE GAP」隙間にご注意を!を知ってるひとなら、きっとわかってくれるはずだ。

あー、ねみー。

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February 05, 2005

I DON'T KNOW BUT I'VE BEEN TOLD...

二日酔いと謎のバルーンのせい(?)でアタマがぐらぐらしてるのだが、今夜も明日も酒のにおいがぷんぷんとしているので、昼間のうちに本読みリストをすまさねば。。。
と思ったらすでに夕方じゃん?!

で、この状態では効率悪くて仕方ないんで、DVDみることにしました。
といっても、文化研究とテキスト分析の講義からいただいた(いらねぇ)レポートのためなので、まあいいかー←言い訳くさい。
自分で好きな映画を選べるのだけが唯一の救いなので、愛するフルメタル・ジャケットをチョイス。だって好きなんだもんジョーカー。

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December 26, 2004

いまさらキャシャーン

二時間のがっちり集中を強いられました。いい疲れです。唐沢寿明と樋口可南子に万歳三唱!

キャシャーンのDVDがはるばる届きまして。日本から8ヶ月遅れでやっと観る事ができました。もう今ブログに書くにはかなり賞味期限切れなのはわかってるんですけど、書いちゃうもんねー、へっへー。この日のためにレビューとかも全然みないで我慢してたんでい。

まず総合評価は。。。★★★くらいかと?えーそんだけ?っていう方と、えーそんなに?と思われる方、たぶん思いっきり割れると思うんですが。内容もまさにその通り。映像とかひとつひとつの描写の良かったとこは★×5どころか個人的には★×10くらいつけちゃいたいんですが、ヤだったところも反比例。★×ー7くらい。筋の粗さとか。あと特に麻生久美子とか麻生とか麻。。。以下略。あ、もちろんそんだけじゃないですからね。ま、ぶん薦めたい友人には無理矢理貸しつけるし、嫌いそうな友人にはキャの字もいいません、みたいな。

内容の意味的な部分はいっかいみただけじゃ何も言えんとも思うので、あまり書かんときます。単に観ながら考えた事をつらつらと。

んで、観賞後にちょこっとレビューとかも読んだんで、そのあたり(プロモみたいな映像の評価とかね)は繰り返すのもなんなんで、たいがいオミット(省略)。ええ、綺麗です、FINAL DISTANCEとSAKURAドロップスのプロモの雰囲気ですね、特に。監督本領発揮。

最初から最後まで思ったのが、イノセンス:押井守監督と映像かぶってますよね。最先端CG技術って同じようになっちゃうのかね。あまり知られてないイノセンスの楽しみかたに「サウンド消して字幕だけだして、宇多田ヒカルのアルバムDEEP RIVERをBGMで流して観る」っていうのがあるんですけど(両方との動きと音のリズムが怖いくらいにシンクロして、オモシロイ)キャシャーンでもやってみたいな。どうなるんだろ。

ほかには唐沢が赤いマント羽織ってるのが、アキラの鉄男に見えてしかたなかったり。むしろアキラを紀里谷氏が特撮で撮ったら、世界的に売れるんと違うかな。アキラ海外でも評価めっちゃ高いから。この映画も、既に特撮というよりはアニメーションとしてカテゴライズされちゃってもいいかもしれないね。キャラがほんとの人間だっていうだけで、背景は基本的にCGで合成かがっつり加工。。。現実そのままのは回想シーンのみ?

でも人間の俳優が演技してるってのは、やっぱりアニメーションより感情が入る、のだね。死を悼むシーン、息子の戦士を知らされる母親から仲間の手を握る新造人間たちまで、その映像はとても迫ってきた。映像に負けない演技があったからだと思うけれど。生きてるのは一度きりで、だから心から悼むべきものなのだと。あー、ちょっと映画に侵されてるくさい!いろんなとこで出てくる「ストレートすぎるクサイ台詞」、感染率高め!!

もう日常生活でまず出ないような台詞を堂々と、ピンポンのドラゴンのように(笑)言い放てるのもアニメとか虚構の世界の特権だわな。戦争や生命科学技術に関するメッセージとか、アメリカ率いる対テロ方針をかなり彷佛とさせる言葉とか、もしくはナチス的な描写、そういった「リアル」のドラマで中途半端になりやすい故に扱いづらい要素も同じように、計算したうえで特撮とゆう枠の中に押し込めた感じですね。フィクションのうまい利用っすね。

アメリカのジャーナリスト、リップマン(19)が「フィクションはそれが現実に作用してくるかぎり、まったくの嘘というわけではない」といったことを書いてましたが、そんな感じ。言葉を観客の現実感の中に作用させるために、敢えてフィクションで描いた、ようにも思えるわけで。

最後にしつこいけど麻生久美子。あんなに使えない女とゆーか何のためにいるのかわかんないキャラなら、麻生さんじゃなくてもいいじゃないんですか。むしろ彼女けっこう好きなんで、あのキャラだったのがムカついた。もっとさー、こうほんとに助けられるだけ、悲鳴あげるだけの「お嬢様」なら適役がいたきがする。。。そういう役柄でも腹がたたないような、例えばなっちなら、きっと諦めに近いレベルで納得できたに違いない(笑)。

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December 23, 2004

原題:テキサスチェーンソー大虐殺!

観てまいりましたテキサスチェーンソー。
邦題は「悪魔の生け贄」というそうです。
けっこう、とんちんかんなタイトル。。。

いやあ、笑った笑った。
ストーリーはスプラッタというかホラーというか

「車のガス切れで困った若者五人組、
たまたま見つけた家に助けをもとめたはいいものの、
そこは殺人鬼とその一家が住んでいた!!
追うチェーンソー男!さあ逃げまどえ若人たち!
次々に殺されてゆく中、残った女の子は逃げ切れるか!?」

という筋で、まあ王道っちゃ王道ですが。
もともとは、1974年リリースのこの作品、
この手の話のパイオニアのひとつであったようです。

とにかく殺人家族の変態っぷりがトンデモなくて、
彼等のイッチャッテルぶりに比べればアナタ、
泣き叫ぶ若者なんて、ステーキのつけあわせのようなもの。
ギャグとホラーの境界線をひた走るこの作品、機会があればぜひ一度ご鑑賞ください。

ちなみに当時のイギリス紙にはさんざんこきおろされてて、
「もし百万のアメリカ人がこんな屑を求めたのだとしたら」
と、もはやゴミよわばりです。

しかし、漫☆画太郎に哲学を見出す人が世には存在するように
この話にもかなり真面目に切り込んだ評論があるわけです。
それによりますと「資本主義社会のひずみ」とか「田舎社会の怖さ」などを描いている作品だそうな。

閉鎖的な田舎のまた端に佇む、社会から取り残された一軒家。
そこでサディスティックな変態親父に、まるで家事を教わるように殺人を「当たり前」と仕込まれていった息子達、そこに既に悪意はありません。

この「家」を地域の共同体サイズにおきかえると、現代に通じる問題も見えてきます。限定された情報は、その地域でのみ通用する常識やモラルを後天的に「つくりあげる」のを容易にするわけで。

じゃあ情報化社会といわれる現代は、そんな心配いらない?

いやいやいや。
実際、「情報の限定の方法」というのが実はかなりの曲者で、
検閲や情報規制がその状態をつくる、と言う程に単純ではないのだよね。
インターネットの例がいっちゃんシンプルでしょーか、
確かにネットはあらゆる情報にアクセスすることが出来るけれど、実際は「自分の知りたいことにしか手をのばさない」のが大半。情報の自由化が、逆にその幅を狭めていることになります。

テレビの多チャンネル化もおんなじ傾向をつくってますね。
ここにオモシロイ例をひとつ。

舞台は1960年半ばのオランダ、カトリックとプロテスタント(キリスト教の大きな宗派ねい)と社会主義が、当時はずいぶんお互いにモメてました。
その場の緊張感を抑えたものが何だったかとゆうと。。。
たった一つしかないTVチャンネル。
だって一個しかないんだもん。
ムカつく相手の主張と、自分の身内の主張が同じチャンネルで流れるわけで、まさか毎回つけたり消したりするほど暇でもなく、結局「見たくもない」ものも見るハメになる。それが結果として、相手への理解に繋がったのです。

最近は好きなチャンネルを「選べて」しまうので、
物好きかリベラルでもなきゃ、普通は両方の視点を知ろうとはしないもんね。
もちろん今更1チャンネルの時代に退行すべきとは思わないから、物好きか自由主義な観衆を育てられる、文化の土壌が必要だろなあ。

脱線しまくったけど、今日は映画の話(のつもり)でした!
観た事あるひとがいたら他の感想もききたいっす。。。

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